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2008年5月

2008年5月27日 (火)

合同合評会

 今日は、同人誌の合同合評会。遠いところから、来てくださったゲストのみなさま、貴重なご意見をありがとうございました。最後に先生が仰っておられたように、読むだけでも大変ははず。昔、習っていた先生が、合評会の時、黒板にこんなことを書かれていました。

「拙い作品を読み、批評してくださる方々は神様です」

ほんとうにそのとおりだと思います。ご意見を励みに、また書きますね。

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2008年5月25日 (日)

犬? それとも……

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ふとんにくるまってる私って、だれかに似てると夏菜さんが悩んでいます

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だれ?  だれなの、私に似てる人。

1709view012 ←この人だっ! と夏菜さんが叫んでいます。

うっそー、似てないよね~。

1969318183_2ん~、ぎょろ目で、鼻ぺちゃさんなところだけはちょっと似てる?

ここで一句

E.T に 耳をつけたらパセリちゃん

失礼しました~。

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2008年5月24日 (土)

ティーンの頃

 ただいまムスコ、中間テスト中。今日は、昨年単位を落とした数学のテストらしい。あ~、不安。また学校に親子共々呼び出されるのは、勘弁して欲しいものである。贅沢は言わないから、せめて人並みの点数をとってくれないものか……と考えながら思い出した。私自身がぜんっぜん人並みに点をとれなかったことを。

 私も数学ができなかった。小学校時代から、どうもこいつとは相性が悪いぜ……と漠然とした嫌悪感はもっていたけれども、それがはっきりしたのは中3の時だ。因数分解。先生の説明を聞いても聞いても頭に入らない。なんだか宇宙語を聞いているようで、脳がきっぱりと拒絶している。 そのうち勉強する気が消えて無くなり、私は完全に因数分解を放棄した。そのうち期末テストが迫ってきた。「まさか、零点ってことはあるまい」と私は自分に言い聞かせた。これでも小学校の時は、成績優秀と言われていたこともある。全く勉強せずとも、20点や30点。いや、あわよくば50点くらいとれるかもしれない。

 そして試験当日。私はテスト用紙を見て目眩を感じた。ひとっつもわからない……。冗談ではなく、ただのひとつもわからないのだ。適当に、数字を書き並べて解答用紙を埋めたものの、返ってきたテストはもちろん零点だった。私はそれをくしゃくしゃと丸めて、かばんに放り込み、教室の後ろのロッカーによじ登って三角座りをした。あまりに途方に暮れて、どうしていいやらわからなかったのだ。ロッカーの上で落ち込んでいる私を見て、友だちが近寄ってきた。「どないしたん? 悩みがあるんやったら、言ってみ。何でも聞いてあげるから」 そのやさしい態度に私はほろりとし、正直に零点を打ちあけた。「なーんや。そんなん大したことないやん。気にせんとき」という言葉を期待していたのに、友だちはぽかんと口をあけ、「うそやン……」と小さくつぶやいた。

 友だちですら、あきれてものも言えないようなことを、私はやってしまったのだ。そう思うとますます途方に暮れて泣けてきた。あの時太股の裏に感じた、スチール製のロッカーの冷たさまで、今でもはっきりと思い出すことができる。母親にはぎりぎりまで零点の件は隠していたが、やがてばれる日がやってきた。期末テストの成績表が配られたのだ。母親は驚き呆れ、烈火のごとく怒り、最後には怒り疲れてため息をついた。「こんなん、お父さんには見せられへん」 母親は脱力した顔で成績表を見つめると、「あんた、数学の点数、ちょっと書きかえれば。ほら、左のとこ、スペースあいてるし」と驚くべき提案を口にした。私は「0」と書いてある左に「4」という数字を書き込んで父親に見せた。厳格だった父はそれでもカンカンに怒っていたので、まともに見せたらどういうことになったか、想像するだに恐ろしい。

 その後、心配した母は私に家庭教師を勧め、私はその先生のおかげで数学が「宇宙語」から「英語」くらいになった。それでも、数学好きにはなれなかったので、大学はもちろん文系だった。しかし、ムスコはこれほど数学ができないくせに、堂々「理系」クラスに入ってしまったのである。いったい何を考えているのかね?と聞くと、「数学ができないのは、やってないからであって、別に嫌いというわけではない。やればできるはず」と言ってしゃーしゃーとしている。

 この期に及んでも、この前向きでポジティブな考え方は、かつての私にはないものだ。しかたがないので、それだけは評価している。とにかく、私もひどい生徒であった。親子二代、無茶苦茶ながらも頑張るしかないですな。 

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2008年5月17日 (土)

大阪人

ずいぶんとブログをさぼってしまいました。反省coldsweats01

ただいま長編を改編中。先日とても良い意見を聞かせてもらうことが出来て、盲点だった部分や弱点が見えてきた。人の指摘って有り難い。思い入れのある作品ほど、自分ではわからない。盲目的に我が子を愛する親と同じだ。しかし、単なる親ばかになってしまってはどうしようもないので「あんたのお子さん、こんなことしてはりましたよ」と遠慮なく言ってくださる近所の人が不可欠なのである。いい作品になるといいな。

遠慮なく言ってくださる近所の人、で思い出した。先日テレビを見ていたら「大阪では見知らぬ人から話しかけられる」というコーナーをやっていて、他県の人たちが驚いていた。私はこれが、大変よくわかる。義母が、まさにそういう人だからである。義母は生粋の大阪人なのであるが、ほんとうに誰にでも話しかける。「あら、奥さん、ええバッグ持ちはって」と義母が話しかけている相手は、たまたまエレベーターで一緒になっただけの他人、というケースを何度も見てきた。相手も大阪人だと、それをいともたやすく受け入れるから、何とも自然な会話が進展する。「お母さん、あの人ご近所の方か何か?」とあとで聞くと、「いいや、しらん人や」という返事がかえってきて、のけぞったことも何回か。

しらん人でもそうなのだから、何か接点がある時など、ものすごい。去年入院したときなども、母の周りには同じ病棟の入院患者さんが、常にたむろして喋っていた。「ほんま、入院生活はプライバシーがないわー。私なんかもう、よう辛抱せんわー」「まあ、あんたはお嬢様やさかいにな、個室でもなんでも入ったらええがな」「そやけど、個室代いたいわー」

「あんたはお嬢様」と言っているのが義母であるが、この相手とは2日くらい前に知りあったばかりである。それなのに「あんた」と呼び、深いつきあいでもないのに「お嬢様やさかいにな」と決めてしまっている様子に、私は冷や冷やした。しかし相手の人はそれを何ら不快には思っていないようで、楽しげに義母とおやつを交換したりしている。もっと驚いたこともあった。手術後、義母は寝たきりで、ベッドから降りることすらできない時期があった。はずした入れ歯を洗うこともできなかったので、私が行ったときに洗っていたのであるが、ある日その入れ歯がすでにきれいになっていた。

「もしかして、看護士さんがしてくれはったん?」と聞くと、「いや。☆☆さんが洗ってくれはってん」と言う。「☆☆さんって……だれ?」「この前、一緒の部屋やった人やがな」「そんな……☆☆さんかって、手術しはったんちゃうん?」「あー、あの人はもうだいぶようなってはるさかい、体も動くんやわ。めんどうみがいい人やさかいになあ」

この、「めんどうみがいい」というのも、大阪人の特徴だ。自分も手術後の体なのに、同室だった母の入れ歯を洗いに、わざわざ車椅子でやってくる。相互扶助ここに極まれり。私は☆☆さんのその心意気に涙してしまった。この、人と人との近さが大阪の良いところでもあり、他の地域の人から見たら不思議なところなんだろう。

ちなみに私は関西人ではあるが、神戸人なので大阪人とはかなり感覚がちがう。東京の人から見たら、神戸も大阪も京都も一緒だろうが、全然ちがうのだ。なので、私とエレベーターで一緒になったからと言って、急に話しかけないでねcoldsweats01

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